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【Trader列伝】 Vol.13 ジェリー・ヴラム~フロアからスクリーンへ
【FJトレーダー列伝】 参謀:梅田直人

05/12/15 02:46
【Trader列伝】 Vol.13 ジェリー・ヴラム~フロアからスクリーンへ
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ジェリー・ヴラム


【Futures Japanトレーダー列伝 Vol.13】   
ジェリー・ヴラム
 
フロアからスクリーンへ
 
デリバティブ部門の運営がロンドン国際金融先物取引所(LIFFE)の監督下に入ったユーロネクストは、職員をアムステルダムからロンドンに異動する予定はないと言う。しかし、職員が移動した場合には、ジェローン(ジェリー)・ヴラムが喜んでガイド役を務めてくれるだろう。ロンドンを拠点とするデイトレーダーのヴラムは、オランダ育ち。初めてデリバティブ取引の味を知ったのは高校在学時だった。


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 「17歳の時だった。経済担当の教師が、生徒にバーチャルマネーと架空の会計報告書を配った。それから半年間オプションのペーパー・トレードを繰り返し、新聞で成績を追った」  

 それが出会いだった。ヴラムは生徒の中で最大の利益を上げることができたが、同時に最高額の損失も被り、取引高も最高を記録した。当時を「トータルでは取引で勝ったとは思わない。ただ、ゲームは楽しかった」と振り返る。

 大学には進学したが、トレードの楽しさが忘れられなかった。そして退学。アムステルダム・オプション取引所(AEX)のフロアで職を得た。その後、高校での売買ゲームから3年も経たないうちに、自己資金でディーリングを行うAOT(アムステルダム・オプション・グループ)から実際のマネーを託され、再度ゲームに取り組むこととなった。まず1990年にAEX(株価指数)オプションから始め、翌91年には先物へ移行した。

「あの頃、欧州で最大のマーケットはロンドンだった。取引の中心地に居たかった。だから92年にロンドンに引っ越した」

 93年2月からはLIFFEでユーロマルク・オプション取引を手がけた。ブンド(独連邦長期債)・オプションのフロアに移動したのは9カ月が経ってからだ。それからの5年間はまるで嵐のようだった。東西ドイツの統一。これを受けてブンドの取引高は過去最高にまで急増した。

「母国語以外の言葉を操ってオープン・アウトクライのマーケットで取引するのは生やさしいことではない。しかも、トレーダーの大多数はロンドン訛りだ。ただしエキサイティングだったのも事実。ロンドン・マーケットは急成長しており、米国人も多数、トレードをするためにロンドンに移住してきていた」

 その一方で、アムステルダムのマーケットも急速に勢いをつけていた。96年にはロンドンでのトレードに区切りをつけ、オランダへの帰国も考えた。

 スタフォード・トレーディング・ヨーロッパ社の面接を受けたのは、ちょうどアムステルダムに戻っている時だった。ただし入社の条件は、ロンドンに残って取引を継続するというもので、結局、「ブンド戦線」が最高潮に達していたLIFFEへ引き返すこととなった。

 その頃ドイツのユーレックスは、もともと自国の国債であるブンド取引の流動性をロンドンからフランクフルトに取り戻そうと躍起になっていた。取引所手数料の引き下げはそのための戦略だ。LIFFEもそれに応える格好で手数料を引き下げて応酬。さらにはドイツの他の金利指標に対抗するべくボブル(独連邦中期債)取引を上場した。

「LIFFEとユーレックス間の裁定取引は、莫大な量の取引を生み出した。LIFFEはボブルのピット・トレーダーには有給休暇さえ与えて優遇した。もちろんトレーダーの『抱え込み』が狙いだ」

 両取引間の裁定取引を実行することにより、マーケットメーカーのスイス銀行はLIFFEのボブルでは2ティックのスプレッドを確保していた。またリクイディティに関しては、売りと買いそれぞれについて200ポイント分の玉を維持していたのだ。しかし、流動性競争の勝者はユーレックスだと人々が気付いた時、それも終焉を迎えた。その理由をヴラムは説明する。

「取引所手数料の引き下げは誰にとっても喜ばしいものだったが、それは同時にLIFFEがいかに高額で、スクリーン取引がいかに安価かを知らしめる結果になった」

 その後ヴラムは再びトレードの場を英ギルト債に移行する。2000年4月にスタフォード社がトレーディングルームに先物取引機能を追加するまでフロアで取引を続けた。ほかの多くのフロア・トレーダー同様、トレードに「本能」を活かすヴラムは、フロアを離れることで肌に染みついた感覚を忘れるのではないかと心配した。

「だが蓋を開けてみると、取引収益が向上したことが分かった。フロアでは、あるブローカーがピット・トレーダーに手を振らせて注文を約定しようとする場合、そのトレーダーが自分のことを気に入らなければこちらの発する価格が耳に入らないふりをすることが往々にしてある。ところがスクリーン取引では、そうした不平等は起こり得ない」

 また、相場に明確な方向性がない場合でも、果敢に攻め込むことができる。

「トレードは毎日しなければならない。だから普通なら少ない枚数から始めて、マーケットの反応を見極める。時にはトレードのためのトレードもする。反応がソフトなら、大口注文が控えているきりのいい数字までビッドを上げられるかどうかを確かめる。例えば、現在の水準が25なら、30までビッドを上げられるかどうかを確認し、もし大口注文が控えていれば玉を反転する。こうすればレンジがどの位か分かり、大口注文が市場の流れを反転させてしまう寸前に、願わくば自分の玉を反転することができる。時には、このように市場を探ることで、ビッドとオファーの両方をヒットすることができる可能性がある。例えば、26でビッド(買い)、29でオファー(売り)されている時、26で買いを入れて29で売りを出し、そのままレンジの動きにまかせることも可能だ」

 スクリーン取引はまた、フロア取引を穴埋めする以上のものだと言う。注文の流れを見るためMCMニュースサービスを利用し、成績向上の手段としてプロネット・アナリシスを利用する。

「プロネットでは、ボリンジャー・バンドや様々な売られ過ぎ/買われ過ぎの指標がうまくブレンドされている。玉を建て増しするか手仕舞うかどうかは、これを使って判断している」

 しかし、フロアでのトレーダー仲間の連帯感は今でも懐かしく思い出す。誰もがスクリーン取引への移行がスムーズにできたとは言えないことは認識している。

「フロアでは市場を動かすことができたトレーダーも、現在では思っていたほど力があるわけではないことに気付いている。反対にフロアでは目立たなかったが、スクリーン取引で成功しているというトレーダーも多くいる」

 シカゴに残るトレーダーの多くにとっては、耳が痛いコメントかも知れない。

  
※この記事は月刊『Futures Japan』2001年12月号より転載したものです


(参謀:梅田直人)


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