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【Trader列伝】 Vol.4 ジーノ・ディヌーツォ~知識は実践で役立てるもの
【FJトレーダー列伝】 参謀:梅田直人

05/10/03 15:17
【Trader列伝】 Vol.4 ジーノ・ディヌーツォ~知識は実践で役立てるもの
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【Futures Japanトレーダー列伝 Vol.4】   
ジーノ・ディヌーツォ
Gino DiNuzzo
 
知識は実践で役立てるもの
損する喜びを学ぶこと。なぜならそれがトレーダーの日常だから
 

損切りを早く、買いを叫べ、売りを叫べ、1ティックの利益を狙え、ランナーを休ませるな…

フロアで売買するトレーダーの5原則だ。トレーディング・ピットはどこよりもエキサイティングな場所なのである。
 
最近の先物市場はめまぐるしいほど変化に富んでいる。ジーノ・ディヌーツォのトレーダー人生もその点では同じだ。かつてディヌーツォは典型的なスキャルパーだった。39歳の今、ダウ・ジョーンズ先物のピットから、今一度離れようかと考えている。

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シカゴの南郊外、シカゴハイツ出身のディヌーツォがこの世界に入ったのは1978年、株式ブローカーをしていた友人にシカゴボード・オブ・トレード(CBOT)の話を聞いたのがきっかけだ。ピルスベリー社の穀物部でランナーを始めた彼は、21歳の誕生日が過ぎたときにはTボンド(30年物米財務省証券)で日計り商いをするようになっていた。

それまでの出世は大先輩、「エヴァレット・クリップなしには考えられない」と彼は言う。クリップとはアルファ・フューチャーズ社の共同経営者である。CBOTでは多くの新人トレーダーたちを支える父親像として、お馴染みの人物である。

「トレーダーとして生きる術を教えてくれた。”損する喜びを学べ“と教わったが、それは損がトレーダーの日常であるからだ」

新人時代はクリップから学んだ5つの原則を頑なに守っていた。それは、損切りを早く、買いを叫べ、売りを叫べ、1ティックの利益を狙え、ランナーを休ませるな……である。これらはもちろんフロアに立つ何千人ものトレーダーが毎日やっていることであって、秘密でもなんでもない。しかし、そんな定石も”鍛練“という一番重要な要素なしには何の意味もなくなる。

ディヌーツォはTボンドの取引でクリップと張り合うまでになり、コンスタントに利益を出すようになった。すると「これがすべてなのだろうか?」いう疑問が沸き上がってきた。85年、ディヌーツォはフロアを去り、友人と電話代理応答サービスの事業を始める。そこで悟ったことは、先物取引ではどんなに退屈な時でさえ、今の仕事よりはずっとスリル溢れるものだったいうことだ。1年ほど経って彼はCBOTに戻って来た。

その後7年、自らの取引を成熟させる。自分の感覚を信じるようになり、ピットのトレーダー達の心理や、それがどういった値動きをもたらすかも読み取れるようになった。CBOTの会員権を保有し、ボンド・ピットを何度も行ったり来たりしながらも、場味にピリピリ反応するような取引方法ではなく、場外の参加者のもつ「ひずみ」に狙いを定めたスキャルピングに精を出す。

そうするうちにディヌーツォは重大な転機をもたらす人物と出会うことになる。グラムザ・キャピタル・マネジメント社のダン・グラムザだ。彼はCMEでテクニカル分析の講師を務めており、93年にディヌーツォも受講するようになった。

グラムザの最初の授業はマーケットファイルに関するもので、「市場が開いて最初の1時間におよそ8割の確率で1日の最高値や最安値をつける傾向がある」ことを学んだ。ディヌーツォはマーケット・プロファイルの理論に魅きつけられる。

「場外で取引を始めたとき、1ティック以上リスクを取るということに、気が変になりそうだった。それでも最終的にはリスクが限定さえできれば大丈夫だということが分かった」

以来、ディヌーツォはテクニカル分析にはまる。3年後、実感したことは「結局、知識は実際に役立てなければダメ」ということだった。97年にグラムザとヴィクター・フェルドマンの取引グループに参加。

3人で開発した戦略に、現在トレンドを形成中でコンソリデーション(底固め)かリバーサル(トレンドの反転)の兆しがみえている市場を狙うというやり方がある。特定の2本ないし3本のバーチャートパターンが現われ、同時にボラティリティが上昇している場合、彼にとってはオプション売りのサインとなる。満期15日前ぐらいのアット・ザ・マネー・オプションで、3日以内にプレミアムが5割落ちそうなものを探して売り、実際に落ちたら買い戻す。

リスク回避には3通りのストップを活用している。短期のストップは高い確率で発生するボラティリティの上昇から建玉を守るため。テクニカルに基づくストップはサポートとレジスタンスを生かしたもの。そしてトレイリング・ストップである。この戦略は変動率に注目してのものだが、このことがきっかけでディヌーツォに3度目の転身をもたらす。

「債券市場は成熟しているが、株価指数にはまだ変化する余地がある」と考えたディヌーツォはS&P500先物を手がけるようになり、97年10月にダウ・ジョーンズ工業平均株価先物の取引が始まったとき、最初のローカルズのひとりとして参加した。

「50歳や60歳になっても取引所のフロアに立ち続けられるかどうか分からないし、そうしたいかどうかも分からない」と言うディヌーツォは、自分のやってきた実験は自分の未来を模索するためであり、自己防衛でもあったと付け加える。「誰もがエヴァレットのように長い間ピットに立ち続けられるわけではない」

  
※この記事は月刊『Futures Japan』1998年8月号より転載したものです


(参謀:梅田直人)


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