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【Trader列伝】 Vol.3 ポール・ルイス~オーダー・フロー分析を駆使
【FJトレーダー列伝】 参謀:梅田直人

05/09/22 12:10
【Trader列伝】 Vol.3 ポール・ルイス~オーダー・フロー分析を駆使
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ポール・ルイス


【Futures Japanトレーダー列伝 Vol.3】   
ポール・ルイス
Paul Lewis
 
オーダー・フロー分析を駆使
とにかく取引を開始すること。そこからマーケットの息づかいが実感できる
 
朝、マーケットが始まったら「買い」でも「売り」でもいいから取りあえずオーダーを入れろというのがポールの主張。「分析麻痺症」では決して勝つことができないという結論だ。
 
トレーダーとしての成功者の誰でもがそうであるように、ポール・ルイスも、この十数年の間で「恐れを克服する」術をマスターした。それにはもうすぐ黒帯となるテコンドーの腕前も、英国で学生時代を通じて親しんだラグビーの経験も関係なかった。ルイスにとっては、ロンドンの立会い場やドイツ先物取引所(DTB)で与えられた自分のデスクでの毎日が試練の場だった。
 

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パリ国立銀行(BNP)のヘッドトレーダーであるルイスは現在32歳。DTBのDax(ドイツ株価指数)オプションを扱う有数のマーケット・メーカーとして知られている。

「とにかく取引を始めること」が重要だとルイスは語る。「朝、出社して新聞を読んだり、罫線を眺めているだけでは何も始まらない」のだと彼は言う。

「朝来たら、まず10枚の買いを入れる。そうしながら、その日の相場の流れを感じ取る。その『買い』が間違っていたら痛い思いをするし、正しければ好感触を得られる。いずれにしても、市場の動向を直ちに実感できる。トレーダーには『分析麻痺症』と呼ばれる人種がいる。実に多くの罫線に目を通して、『買い』だとするチャートが10、逆に「売り」だとするものが10あれば、結局何もせずに模様眺めを決め込んでしまう。何もしないでいてサラリーは貰えないのに…」

ルイスの場合、ファンダメンタルズやテクニカル分析に加え、オーダー・フロー(注文の流れ)を分析して市況を判断する方法をとっている。

オーダー・フロー分析とは、値動きや、ビッドとオファーの出方について、その意味合いを経験に則って読み取っていくことである。ピットを離れて、オーダー・フローをスクリーン上で判断するのは難しい作業だ。

ルイスもそれは十分承知している。1987年、ルイスはリーマン・ブラザーズ社に入社し、社内のトレーディング・デスクで、ロンドン国際金融先物取引所(LIFFE)の独国債取引を始めた。そして91年、取引所の独国債ピットにローカルズとして立った。最初の1年は損得無し。ルイスには不満が残った。しかし、市場の振れや流れを読むすべは身についた。

「それまでのやり方はフロアでは通用しなかった」とルイスは振り返る。そして、あくまで論理的に考えて取引していたことがその時の敗因だったと付け加える。

ルイスは同じ1991年、ドイツ銀行の独国債トレーディング・デスクのヘッドに就任した。任地はフランクフルトである。ロンドンで得た知識とDTBスクリーン取引から得た知識の融合。ロンドンとDTBでアービトラージをかける顧客の注文をこなしながら、ルイスは急速に熟練度を高めていった。

「スクリーンの向こうにいる取引相手に対してアグレッシブな値段を出しながら確実に注文をこなしていく。DTBではスクリーンの先にいる人達の顔が見えない。しかしスクリーンを通して語りかけてくる人々の存在が感じられる」とルイスは語る。

94年9月にルイスはドイツ銀行を退社し、ポーランドで株式トレーダーとしての手腕を試す道を選んだ。ルイスにとってこの新興市場は、さらに新たなものを得るに相応しいと考えたのだった。そしてその9カ月後、BNP社のDaxオプションのマーケット・メーカーになるため、再びフランクフルトに戻った。同市場での毎日の取引頻度は800から900回にも上る。1回の取引は1枚の時もあれば1000枚になる時もある。こうした凄まじいペースでの注文を通しながら、ルイスはオーダー・フローや値動きを常に肌で感じ取っている。取引は顧客注文の執行だけでなく、自己勘定でも売買している。

英国のバーミンガム出身のルイスがこの仕事を初めてから11年になる。この間、月間の成績が損で終わったことは5、6回。現在、彼は総額2000万ドイツマルク(約1090万ドル)の運用を担当している。これまでに出した最大の損は、ドイツ銀行でポジション・トレーダーをしていた当時に出したものだ。手持ちのオプションの満期日が翌日に迫っているという時、独国債市場が急に動いた。その結果、100万ドイツマルクに上る損を出したのだ。当時、ルイスはリスクマネジメント用のコンピュータ・ソフトにすっかり依存しており、デルタ・プット5枚の満期が明日に迫っている事実に手遅れになるまで気がつかなかったのだ。このことから自分のポジションの内容を常に把握しておくこと、という教訓を学んだ。「もしあの時、ポジションの中身に気づいてさえいれば、何とか手を打てた」

いずれの損も最終的には埋めてきた。一方、彼のこれまでのベストトレードは、LIFFEのフロアに立ったばかりの頃のものだ。87年10月の大暴落の後、ギルト債市場でコールを買った。その結果、200ポンドを2000ポンドにした。

「自分の市場分析を基にして立てた戦略が初めて当ったという意味での『ベスト』だ」と振り返る。「ただ、その儲けは、もちろん次の日にはすっかり市場にもっていかれた」と笑いながら教えてくれた。

  
※この記事は月刊『Futures Japan』1998年6月号より転載したものです


(参謀:梅田直人)


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