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【Trader列伝】 Vol.2 トーマス・セイズ~LIFFEの元祖スキャルパー
【FJトレーダー列伝】 参謀:梅田直人

05/09/20 12:47
【Trader列伝】 Vol.2 トーマス・セイズ~LIFFEの元祖スキャルパー
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Thomas Theys



【Futures Japanトレーダー列伝 Vol.2】   
トーマス・セイズ
Thomas Theys
 
LIFFEの元祖スキャルパー
トレーダーは損失から逃れる方法を知らなければならない
 
ハント一族の銀買い占め事件で莫大な損失を被るも、見事にマーケットにカムバック。そんな彼は「ピットの中は波のようなもの。自分をその流れに合わせることが大事」と語る。

トーマス・セイズは、毎朝2時間、ロンドン国際金融先物取引所(LIFFE)の独国債ピットで300枚から600枚を取引する生活を11年も続けている。最初の頃はオープニングセッション終了後にはテニスに興じていたが、1994年に自分自身の会社、PATシステムズを設立してからは、ピットからサウスロンドンのオフィスに直行するようになった。これは彼が”鍛練(ディシプリン)“を学んだ結果である。そしてそこに至る道のりはもちろん、決して平坦ではなかった。

セイズは、あらゆる取引ルールとその結果について研究した結果、トレーディングフロアは幸運を生み出す場所ではなく、日々の目標を達成するための場所と考えるようになった。

「鍛練とは、”損失からいかに距離を置くか“を学ぶことだ。損を願うものはいない。トレーダーは損失から逃れる方法を知らねばならない。儲けることは簡単だ。大事なのは損失を出した時、その理由を見極め、明日からのために態勢を立て直すことである。これは本当に難しい鍛練だ。私は何年にもわたって鍛練を重ねてきた。今では儲け以上に損をすることはない」

LIFFEでスキャルパー(日計りのサヤ取り専門のローカル・トレーダー)の先陣を切ったセイズは、その昔CBOTのボンド・ピットで腕を磨いていた。彼のスタートは71年にガーナック・グレイン社にランナーとして入社した時に溯る。当時のCBOTでは穀物しか取引されていなかった。「契約が成立する度に、取引所職員がチョークで黒板に値段を書いていたのを今でも覚えている」と振り返る。

77年、Tボンドの上場と同時にクラークに昇格、その後同先物のトレーディングでキャリアを積んでいった。”ある災難“に遭遇するまで、彼の成績は華々しいものではなかった。しかし、とんでもない損失を出したのが前途有望な青年期であったことが、ある意味では彼にとって幸運だったかもしれない。

”ある災難“とは彼がピット・ブローカーをしていた時で、当時ハント一族が銀の買い占めを図っていた。この影響でボンドは暴落し、その結果、現在でも”莫大な“という形容詞が当てはまるほどの多大な損失を被った。市場から締め出される格好となった彼は新しい働き口を探すことになったが、(職が見つかるまで)そう時間はかからなかった。

82年にLIFFEがオープン。そして8月、”新世界“を求めて大西洋を渡ったトレーダー10人の中に彼がいた。当時LIFFEでのフロア・チームを編成していたバンク・オブ・アメリカに職を得る。同行は当時の最大級の銀行であり、その下で幸先の良いスタートを切ることができたのである。ロンドン市場が活況を呈してきた86年、セイズはヴァイス・プレジデントに昇格する。新たな分野を模索したのもこの頃だ。「自分がLIFFEのフロアでスキャルピングを始めた当時、誰もそうしたやり方をしていなかった。大半がトレーダー会社に雇われた身だった」からだ。

情報や相場観が乏しいほど値刻みに合わせた売買が得策といわれる。セイズはこの相場格言に頷き「ピットの中は波のようなもの。自分をその波の流れに合わせることが大事」と説明する。

高いボラティリティもスキャルピングには好都合である。87年の暴落時には新たに確立した”鍛練“を試すことができた。ボラティリティの高まりもあったが、本人が認めるように、同年は彼のトレーディング歴の中でも最高の部類に位置付けられる。彼は寄り付きのトレードを好む。
「チャートをみて行うトレードは得意ではない。またLIFFEと並行してシカゴ市場が開いている間もうまくいかない。しかし、寄り付きにはチャンスが転がっている。注文も伝票が散乱するほど多い」

相場の方向性予測は、セイズにとって禁忌事項だ。もちろん大きなトレードに左右されない訳ではない。ポジション・テーカーが途転の動きを始めれば、迅速に行動しなければならない。

「スキャルパーは口を開くたびに損と益がついて回る。私は1ティック逆に動けば損切る。とりあえずはスクラッチ(プラスマイナスゼロの状態)を狙うが、もしだめなら最初のビッドなりオファーで仕切る。もしピット全体が買い一色、売り一色であればひたすらスクラッチに努める」

ピットに立って16年、今、セイズは注文伝達システムを開発している。しかしその開発は、ピット取引の”愛着“にそむくものではない。スキャルパーにはピットが世界のすべてだ。セイズはピットに立つ大勢のトレーダーの売買の状況、特に(背後にいる)実質的な注文者は誰かを推察した上でトレードする。

「仮に小さな会社が50枚の注文を出せば、その取引はそれで完結する。しかし、JPモルガンのような大手の50枚は500〜1000枚単位のオーダーの”手始め“と言える」

取引の透明度はセイズが最も関心を払うところだが、匿名性が保たれる電子取引ではそこがみえてこない。

「ピットとコンピュータでは取引環境も異なるし、取引方法すら全く違ったものが要求される。”騙し“のテクニックがあるのはピットもコンピュータ取引も同じだ。しかしピットの中にいれば、顧客が如何にオーダーを成立させたがっているか、あるいは相場を動かしたがっているかを肌で感じることができる」

  
※この記事は月刊『Futures Japan』1998年1月号より転載したものです。

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