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<New!>【FJトレーダー列伝】
【FJトレーダー列伝】 参謀:梅田直人

05/09/08 11:18
【Trader列伝】 Vol.1 ジェフ・スタインバーグ~バランス感覚が重要
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ジェフ・スタインバーグ


【Futures Japanトレーダー列伝 Vol.1】   
ジェフ・スタインバーグ
Jeff Steinberg
 
バランス感覚が重要
損する恐怖と儲けたい欲望、この折り合いをつけることが大切
 
「トレードは損したり儲かったりの繰り返し。肝心なことはどんなときでも自分のトレードスタイルを貫くことだ」と語るジェフ・スタインバーグは、CBOTのピットでは最も成功したローカルズのひとりだ。
 
 ジェフ・スタインバーグにとってトレードとは、鍛練(ディシプリン)と同時にエゴの確立でもある。このバランスをうまくとることで、彼はCBOTのTノート(5年物米財務省証券)ピットにおいて、10年以上、最も成功したローカルズの一人に数えられてきた。

「日々の行動について慎重に自己分析をしなければならない」と彼は言う。「この習慣を身につけるのに随分時間がかかる。そして損をするかもしれないという恐怖と、儲けたいという欲望の折り合いをつけるのにも大分時間がかかる。これは本当に難しい」。

 山あり谷ありの彼の物語は、業界では特に目新しいものではない。自ら会得した手法によってTノートピットにおいてトップ・ローカルズの地位に上り詰めた、今年40歳になる彼の先物ビジネスでの出発点は、ハーベスト・ステイツ・コーポレイティブ社(ミネソタ州セントポール)に、穀物のアナリスト兼トレーダーとして入社した1980年に溯る。その後、モンタナ州のジェネラル・ミルズ社を経て、1985年、5年振りに彼の母校であるミネアポリスのカールトン大学の同窓会に出席。旧友のジョン・ベカがCBOTの地方債先物で成功を収めていることを知った。

 ベカからトレードを勧められた彼は、父親から1万7000ドルを借り、指数・債券・エネルギー市場の会員権を1万3000ドルで購入する。1986年4月のことである。

 父親からの借金の残りと自分の貯金を元手に、地方債券先物を1枚づつ取引し始める。そして、その年の暮までに5000ドルを、翌年、腕に磨きをかけ7万ドルを稼いだのであった。

 さらに翌年の1988年、上場されたばかりの5年物Tノートピットに移った彼は、そこで厳しい現実に直面することになる。結果はブレーク・イーブン、そして10月に入るやいなや、最初の1日で6000ドルを失い、この損失を取り戻すのに3週間ばかりを費やすことになる。しかしその月の終わりに再び6000ドルを失い、会員権を売却せざるを得なくなるのである。そしてそればかりか、トレードを続けるために、フィアンセに1000ドルの借金を申し込んだのである。お陰で、二人の結婚式はしばらくお預けとなる。

「当時はかなり荒れていた」と回想する。それからほどなく祖父が死去。ミネアポリスでの葬儀に向かう途中で、なぜこういう結果になったのか考えてみた。「以前は、5から10ティック引かされるまで辛抱していた」。「しかし、Tノートで5ティック引かされるなんてことは実はとんでもないことなんだ」

 そんな彼のとった解決策とは「ドアを開ける(トレードを始める)前に自分自身をチェックする」ことであった。「1日10ティック、それが目標。それだけいけば、その日はおしまい。例え朝7時30分に目標を達成できたとしてもだ」

 1988年10月を境に、それからの6年半、彼は負け知らずとなった。続く3年間は、投資資金に対して1000%の利益を上げた。特に1994年は最高の年となった。市場自体が成長し、市場の流動性が高まるとともに、彼の取引量も1回に500~1000枚へと膨らんでいった。続く1995~96年は、市場の拡大が頭打ちとなり、取引サイズも100~200枚に減少したが、自分が決めた方針を堅持することで「勝利者の地位」を確保している。

 5年物Tノートにおける彼の戦略は一風変わっている。

「日々最初にするのは、イールドカーブを眺めてみることであり、そして2年物のTノートの勝負所を観察すること。そして例えば、2年物だけが他の債券に比べて動意付いており、10年物は動かず、30年物は若干下げ気味。こういった状況はイールドカーブが非常に強含みになる前兆といえる。こうなると誰も5年物をショートにしたいと思わないし、まして5年物と30年物でベアスプレッドを仕掛けたいとはまず思わないはず。もしこのような状況が朝に起こっていたとしたら、まさしく『死の接吻』というやつだ。特に2年物が他をひっぱっているのなら尚更、5年物を買って、30年物を売る戦略を採るのが常套手段だ」

 彼の戦略の基礎となっているのは現物市場である。最初のトレードをする前の15分程度は必ず現物市場を観察する。現物市場のボリュームある出来高と値動きを観察することによって、裁定取引のチャンスを窺うのである。「まずサヤ取り連中がどんなトレードをしたがっているのかを思い描き、次に彼らができそうにないやり方を見極めることに注力する」。「それが大量の現物であるか、5年物であるかにかかわらず、彼らが仕掛けようとするまで待つ。もちろん10年物現物の観察にも多くの時間を費やしている」

 5年物ピットのローカルズの競争は益々厳しくなってきているとスタインバーグは言う。1日あたりの売買高も、1988年の1万枚から5万枚に膨らんだ。

 この状況が5年物取引のみならず、スタンバーグ自身にもより良い結果をもたらしている。

「私の向こうを張っている連中は、自分が手仕舞いをしたい時には助けてくれるわけだから」と彼は言う。また彼はトレードをする際の重要なポイントとしてこう付け加えた。「手仕舞うギリギリのタイミングが来るまではあきらめてはいけない」。「自分自身のトレードスタイルを貫くこと。損がかさむ日もある。しかし自分が得意とする分野に執着するべきだ。と同時に、市場の変化に対してどう適応していくか見極めなければならないのである」

  
※この記事は月刊『Futures Japan』1997年11月号より転載したものです

(参謀:梅田直人)



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